引用元:東京都現代美術館
今回は有名な「石岡 瑛子」の名言をまとめてみました。聞いたことのある名言から、こんな名言あったの?といったものまで数多く紹介します!誰もが知っている有名人「石岡 瑛子」の名言・名セリフには、どんなものがあるのでしょうか?
石岡 瑛子とは
石岡 瑛子(いしおか えいこ)国籍 日本 生年月日 1938年7月12日
東京府出身のアートディレクター、デザイナー。妹は同じくアートディレクター、イラストレーターの石岡怜子。米国映画芸術科学アカデミー協会 (Academy of Motion Picture Arts and Sciences) 会員。
東京芸術大学美術学部卒業後、資生堂入社。村瀬秀明、中村誠らとともにグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動した。
1970年、石岡瑛子デザイン室として独立し、パルコや角川書店などの広告で1970年代の日本で活躍。1980年代からは活動拠点をニューヨークに移し、メディアに限定されない分野で国際的に活動した。映画や演劇では、セットデザインと衣装デザインの両方を手がけたほか、衣装のみ担当した作品も少なくない。
主な受賞歴に、フランシス・フォード・コッポラ監督作品の『ドラキュラ』でアカデミー衣裳デザイン賞、マイルス・デイヴィスのアルバム『TUTU』のジャケットのデザインでグラミー賞を日本人として初めて受賞。
2008年北京オリンピックの開会式では衣装デザインを担当した。
2011年、長年交際していたプロデューサーのニコ・ソウルタナキスと結婚。
2012年1月21日、膵臓癌のために死去(73歳没)。
参考:Wikipedia
石岡 瑛子の名言集
デザインに男も女もありません
テレビも、舞台も、ポスターも、新聞も、何もかもが、私のキャンバスになる
創り手と観客は、密接な共犯関係でありたい
着地は熱情であらねばならない
私は本能的な人間です
絶対に流行は追わない
いつも崖っぷちにつま先で立ってる。そんな実感があるわね。ヘタをすると落っこって命を落とすわけだけど、そこに踏ん張って生き残るみたいな、そういう瞬間が何度もある。
このような時代をサヴァイヴしていくために最も大切なことは、内側から湧き上がってくるほんとうの“自分力”を培うことかもしれない。
私の大好きな宮本武蔵のように、常にアウトローでいたいのです。常にゼロ地点に立っていたいし、自分がかなわないと思える相手と勝負をしていきたい。
人生をエキサイティングに切り開いていこうと思ったら、不安も恐怖も喜びもすべてカラフルにやってくるのは当然のこと。不安を恐れていたら何もできません。
どこにいても、毎朝自分で決めたプログラムをきちんと実行してから仕事に向かうようにしています。健康的な食事をし、ストレッチをし、好きな音楽を聴きながら朝風呂に入ってリラックスする――この“モーニング・アクト”をすべてきちんとこなすと2時間かかります。
私は表舞台に立つ人間じゃなくて裏方ですから、昔から忍者みたいな恰好をしています。とにかくモノも服もいらない……大量のモノを抱えたり、何かをコレクションしたりすると、人生が重くなってしまう。
年相応”なんてナンセンスな言葉ですよ。みんなもっと柔軟に、年齢に振り回されない生きかたをすれば、毎日がハッピーになりますよ。
周りと比べないで、自分は自分のペースで生きていけばいいんです。50歳なんてまだまだこれから。まだ何十年も先がある。自分のペースで人生を歩んでいけるのは、まさにこれからだと思います。
もし私を採用していただけるとしたら、グラフィックデザイナーとして採用していただきたい。お茶を汲んだり、掃除をしたりするような役目としてではなく。それからお給料は、男性の大学卒採用者と同じだけいただきたい
私が男の十倍くらいすごい仕事をしない限り、あなたたちは私の能力を認めたくないわけですね
私が、自分で自分のデザインが正しい答えになっているかどうかをチェックするときに、マントラのように唱える言葉があります。それは「タイムレス」「オリジナリティー」「レボリューショナリティー」の三つです
自信を持つためには、鍛錬しかない
いい仕事をしようと思えば、つらいのは当たり前でしょう
世の中を攪拌したい